人が反応する記事とその毒について

旧ブログは、主に、お役立ち系の記事と共感を得るための記事、そして個人的な思い出備忘録としての海外旅行の記事により構成されている。

海外旅行の記事については完全に自分の思い出を記録していくことがメインの目的になっているので、それは除外するとして、お役立ち系の記事と共感を得るための記事を比較した時に、読んでいる人からの反応がいいのは、圧倒的に共感を得るための記事の方。

最近だと、

友達を作るより、知り合いを作るスタンスの方が向いてた

とか、昔だと

旦那さまはどちらにお勤めなんですか?

とか。

ブログと身バレと私

とか。

なんだか、共感を得るため、と表現するととても嫌らしいけれど、駐在妻とか海外暮らしとか、ある種特殊な環境で自分が感じたことを、「きっと自分と同じ人、どこかにいるよね」というスタンスで書くことには一定の価値があると思っていたし、なんていうか、男子には分からないかもしれないけれど(性差別かしら?)、女性って、自分と同じ立場や思いの人が存在してるっていうだけで、なんだか助かったような気持ちになるもので。

いつか誰かが検索して辿り着いて、もやっとした気持ちに寄り添えることがもしあったとしたら、なんか夢があるじゃん。(頭おかしい?)

まぁそんな感じで、モヤモヤ、とか、ややネガティブ、とか、そういうものは人をぐっと引き寄せる。

 

でーも。

これだけを多用するのは、なんていうか、危険なんだよ。毒。

確かに、アクセスは集まるのよね。どこかの誰かも助けられるかもしれない。

でも、そのモヤモヤとかネガティブに本来集めたくないような人がたくさん寄ってきて、変なコメントとかメッセージとか送りつけてきて、まぁ数通ならいいんだけど、毎日同じ人があれこれ言ってきたりして。自分と反対意見のコメントが返ってくることに慣れてない時はメンタルにきたり、慣れてきたらまぁ「くっそ、うっぜーな」と思うだけだけど(笑)、まぁ消耗するのよね。結局、何かに向けた尖りすぎた棘みたいなものが、巡り巡って自分の毒になる。

別に毒になっても全然平気、死なないし、みたいなタイプの人も稀にみるけれど、大抵の人は死ぬ。そんで、ブログの更新やめちゃったり、閉じちゃったりする。

ブログが炎上してブログを閉じる、なんての、遠い世界のことのように思うけれど、イギリスやロンドン、という狭いカテゴリを2年くらいフォローしていただけでも、マッチ棒に火が付いたレベルでもブログの更新やめちゃったり、閉じちゃったり、っていうの、何回も見た(失礼な言い方かもしれないけれど)。

だから、こういう、感情を吐露してみたり、モヤモヤしたものを文章化してみたり、ややネガティブな話だったり、そういうのは、ボヤを出さないためにはそれなりのコツや話題の選び方が必要で、少なくとも私はアクセスを集めるよりもボヤを出さない方により注力することの方が重要だと思っている。(それは良い人ぶっているわけではなく、趣味のブログを細く長く続けるために。)(そしてそれは時々失敗することもある。わはは。)

でもそれなのに、そういうブログ始めちゃおうとしてるから人間ってよくわからない。

やっぱり、こういうことを感じましたよ、という心の機微みたいなものを文字にするのは楽しいんだもの。

だから、毒が自分に回ってこないような書き方をしたいよね、という話でもある。

だからなんだという話。自分のメモ。

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です