ロンドンにて、いち日本人が、パリのテロに対して感じたこと

昨日、パリでテロが起こりましたね。シャルリーエブド襲撃。

ヨーロッパ、特にイギリスやフランスで暮らしているかぎり、こういったことと無縁でいられないのは仕方ないですね。まぁ、カテゴリーとして「テロ」にカテゴライズされるが故になんだか怖い、というだけであって、日本であっても秋葉原通り魔事件や地下鉄サリン事件は起こったわけで、そのような無差別殺人に合う確率がイギリスにいるからといって格段に上昇するわけではないのですが。

昨日はニュースで、このテロのことばかり報道していました。(英語のレベルが低いので、聞き取れることは限定的ですが。)でも、その中で、私の中ですごく違和感があったのは、「この出来事を受けても、報道の自由は抑圧されない!」だとかいう方向に話が向かっていること。え、このテロについてそういう解釈なの?とびっくりしてしまった。

たしかにヨーロッパの文脈の中では、報道機関に対してテロ行為を行うことは、報道の自由を妨げる、決して認められないことなのでしょう。だけれど、今回事件を起こしたテロリストからしてみれば、自分たちのテロ行為が報道の自由を妨げようが妨げなかろうが、どうでもいいのではないの???と思った次第であります。今回のテロリストの行為は、あくまでもシャルリー・エブドがイスラム教に関する風刺画を掲載してイスラム信仰を侮辱したことに対する報復なわけで、テロリストからすれば「テロ」でさえなく、正当な報復行為でさえありえる、と思うのです…。

イギリスに来てから、ふとしたときに感じるけれど、「自由・資本主義・平等・権利」みたいなヨーロッパの発明品が、あまりにも当然に「広げるべき」ものとして扱われ過ぎていていることに、ハッとする瞬間があります。今回フランスやアメリカが主張している「報道の自由」も、ヨーロッパのひとつの発明なのでしょう、きっと。そしてその中に、「風刺画」もある。

だけど、そういう文脈の中で生きていない世界の人たちもたくさんいて、そういう人たちからすれば、「風刺画」というのはただの侮蔑でしかないんではないか、と。報道の自由という価値観よりも大切な、何らかの価値観を持つ民族や人種、一定の文化圏に属する人たちは西洋の人が思っているよりも、きっと多いのだなー、と。

日本では、この事件に対しては、「テロ行為自体は許されるものではないし、表現の自由・報道の自由は基本的に尊重されるべきだけど、今回の問題となった風刺画についてはイスラム教自体を侮蔑するものであり、やりすぎじゃないか」、みたいな意見がツイッターで散見されてて、(というか、私がこの意見だからこの意見ばかり目についてしまうのかもね。)、フランスでの受け止められ方とは少し異なった見方がされているように感じました。そういう意味では、日本も報道の自由という価値観よりも、他人との和を尊んだり、調和をよしとする価値観の方をより大切にする民族なのかもしれないな、と思いました。もちろん、他人との和を尊むということが一律に優れていると言いたいわけではなく、ただそういう価値観がある、と言っているだけのことですが。

こんなこと、きっと日本にいたら考えもしなかったろうな…と思いながら、つらつらと書きなぐってみました、ロンドンの夜。駐在妻になってもうすぐ1か月が経とうとしています。

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