ナポリに宿泊をしたのは、ポンペイ遺跡が主な目的でした。(ま、ポンペイに宿泊してもよかったのですが)
ポンペイ遺跡はもちろん、自分たちだけで行くこともできるのですが、今回はツアーで行くことにしました。1年くらい前にローマの浴場へ見学へ行ったとき、こういう昔の遺跡はガイドがついてたほうが面白いかもなーって感じたので。説明なしで見ても、ただの崩れた建物にしか見えなかったりして、すごさが伝わらなくて勿体無いので。
参加したのは、ナポリ下町散策と古代ポンペイ遺跡 終日観光ツアー。
あんまりナポリの街を知らない夫婦2人だけでナポリウロウロするのもちょっと不安だな、と思っていたので、ナポリ散策もついていてちょうどいいかな、と思ってこのツアーにしました。
比較的安全といわれてるサンタルチア地区のホテルから集合場所までは徒歩で20分ぐらい。道中にはさっそくヴェスヴィオ山が見えます。美しや!
集合場所のカフェ。
バスで30分ほどでポンペイ遺跡に到着します。
ポンペイ遺跡
紀元62年2月5日、ポンペイを含むカンパニア諸都市エリアは、大地震で建物などに大きな被害を受けたそう。その後、街の復興が進められていたのですが、それから17年後の79年8月24日、午後1時頃にヴェスビオ火山が大爆発し、火山灰がポンペイなどの街に降り注いだそう。その12時間後から火砕流が発生し、ポンペイは10メートルもの火山灰に埋もれることになったとのこと。
…うーん、地震の10年後にいきなり火山が大爆発、とか、他人事とは思えませんよ、日本人として。怖い怖い。でも、ポンペイに住んでいる人で大噴火の際に急いで逃げた人は生き残ったようで、街に残った人が亡くなった主な原因は12時間後の火砕流なんだそう。急いで逃げれば、助かることもあるのよね。
ポンペイの当時の人口は2万人、そして亡くなったのは2千人程度だそうです。
ポンペイの入口
ポンペイは城壁に囲まれた港町だったそう。船旅の際、ローマから1日目に立ち寄るのがポンペイの街だったよう。今は火砕流が降り積もったせいで海は数キロ先になりましたが、当時は城壁門を下ったあたりがもう港だったんだとか。
こちらが門。下り坂になっており、中にいた人が船で逃げようとこのあたりに集まって、ドミノ倒しのように死んでいったそうです。(このあたりで骨がたくさん発見されている。)
バジリカ(裁判所)
17年前の地震の復興は、まずは住宅から。それが終わった頃、この裁判所の復興作業をしているさなか、まさに火山が大爆発したとか。ということで途中までしか煉瓦が積まれていない状態で発掘された、裁判所。
(この時は現代アート展のようなものも一緒にやっていたので、謎のモニュメントも一緒に写っていますがそれは無視してくださいw)
ローマなどに比べてお金持ちではなかったため、煉瓦で積んだ後に上からコンクリ的なものをかぶせて、大理石に見せる、ということをしていたそう。
中央広場
このあたりに公共の施設が集まっていた、ポンペイの中央広場。
住宅地
公共の施設の奥の方にある住宅地。
庶民は共同の井戸から水を汲んでいたそう(貴族はプライベートの井戸を所有)。蛇口のマークが少しずつ異なり、道しるべ的なものにもなっていたらしい。
この石は横断歩道。冬になると雨が多く、下水が一緒に流れていたので、う○こが足に付かないように、このようになっていたらしい。
スポーツジム
今でいうスポーツジム的な施設だそう。床にモザイク絵で2人がマッチしている様子が。
劇場
ギリシア劇場。5000人程を収容できる。白い部分が大理石で、それ以外の部分も大理石で出来ていたが、ポンペイで本格的な発掘がされる前に石屋によって売りさばかれてしまったのだとか。
風俗店
下ネタ嫌いな方は飛ばしてね。
ポンペイの街には30件ほどの娼婦の家があったそうです。道に掘られた、チ○コ型のマーク。矢印として方向を指し示す役割をしているそうで、この方向に歩いて行くと…
娼婦の家があります。家の入口にもチ○コマークがw これが娼婦の家のしるしだそうです。
こちらはポンペイ遺跡で一番有名な娼婦の家だそう。
エッチな絵が残っています。サービス内容を描いていて客にメニューを選ばせていたのか、それとも四十八手的なイラスト装飾なのか…
小さい個室がいくつも並んでいて、各部屋にベッドが。
こちらはトイレだそうです。
こういう性風俗の暮らしぶりがそのまま残っているのも、全部火山灰で一気に埋まっちゃったから。個人的にはこういうの超面白い。
水道管
すでに水道管が整備されていたそうで、あちこちに水道管が見られました。鉛でできていたので、体にはよくないそう。
公衆浴場
ポンペイの街にも公衆浴場があったそうです。以前見たローマのカラカラテルメに比べると超小規模ですが。日本の町の銭湯とおんなじくらいの大きさ。
丸い浴槽が冷たい水のお風呂、
四角い浴槽が暖かいお湯のお風呂だそう。これはどこの公衆浴場でも決まっていたルールだそうです。
へこんでいる部分が、ロッカー。
これは、大理石でできた沐浴用の水盤。地域の有力者の名前が淵に掘られているそうで、その人が選挙に備えて男風呂に寄付したものだとか。(女性には選挙権がないので、これがあるのは男風呂だけ。)
居酒屋・パン屋
ポンペイでは、基本的に食事は家で作るものではなく、外で食べるものだったよう。ここは、居酒屋。公衆浴場の前にあるところがオツ。カウンターに空いている穴の中に、ワインやビール、食べ物を保存していたんだそう。
これはパン屋の釜。
小麦を粉にするための臼。穴に棒を通して、ロバが引いていたそう。
近所には有名な、
猛犬注意のモザイク画も。
お墓
お墓は疫病などの懸念から、城壁の外に設置することがルールだったそう。有力者のお墓はこんな感じ。お金持ちは火葬、貧乏人は土葬だったそうで、その場合かかる費用はシーツ1枚分だけとリーズナブルだったそう。
秘儀荘
城壁の外のお墓ロードを抜けた先にある秘儀荘。当時の小金持ちの豪邸。
ここだけではなく、ポンペイには人型の石膏がたくさん置かれています。遺跡発掘の際、次々に見つかる空洞に石膏を流しこんだら、人の形となったものだそう。空洞は、火砕流で埋まった人の肉体が次第に腐食して蒸発?したものだそう。
ポンペイ(山から12キロ)よりもヴェスビオ山に近いエルコラーノ(山から5キロ)では、あまりに高温で噴火時に肉体が全て燃えてしまったので、このような石膏は取れなかったそうで、ポンペイでだけ見られるものなんだとか。
こちらは水道管ができる前に利用されていた雨水をためる水瓶。
そして秘儀荘の名前になっている、秘儀の間。
描かれている内容についてはいまだに議論がなされているようですが、ギリシャ神話の酒神ディオニュソス(バッカス)を崇める新興宗教的なものが当時ローマでも盛んだったようで、(人種混合の性的交わりを行う秘密宗教団体の疑いをかけられてローマの上院では集会が禁じられていたそうですが)、その儀式を執り行う場所だったのではないか?と言われていたり。他にも、裕福な家の子が嫁ぐ準備をする絵だ、とか言われていたり。よく分りませんがなんかエッチな絵です。
これでツアーのポンペイ箇所は終了。2時間という短い時間でしたがポイント押さえて回ってくれてよかったです。そして、超楽しかった、ポンペイ。欲を言えばもうちょっと長く、色々なところ見たかったかな。絶対再訪したい。
この後はご飯を食べて、カメオ工場とスパッカ・ナポリへ向かいます。